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立命館アジア太平洋大学 開設20周年にあたって

20周年

2019/03/27

初代学長 坂本 和一


立命館アジア太平洋大学(APU)が開設されたのは、今から20年前の、2000年4月のことでした。それは 大分県別府市十文字原という、これまで住む人のいなかった草原での、前史のない、白紙からの出発でした。2000年4月、あの広大な十文字原に集ったのは世界35の国・地域から集まった一期生春季入学の約700名。APUの歴史はここから始まりました。それから約20年、APUは今や常時6,000名の若者が全世界約90の国・地域から集る、世界に誇るグローバル大学となりました。


開設当初には、APUへの進学は「高校の先生から反対され、親からもあまりいい顔されない」ような、つらい時代も経験しました。しかし、「We Can Do It!」の掛け声のもと、このような時代を耐え、幾多の困難を克服し、今日のAPUを築いたのは、自らの大学進学の選択に自信と誇りをもち、到来する「アジア太平洋の時代」という世界史の大道に確信をもった、外ならぬAPU学生一人ひとりでした。


「未来を予測する最良の方法は、自ら未来を切り開くことである」という言葉を残したのは経営学の泰斗ピーター・ドラッカーです。私はこの言葉を2000年4月の最初の入学式で一期生に送りました。


学生諸君のAPUを育てる頑張りを思う時、さらに彼らの成長を暖かく見守り応援して下さっている地元別府市民の皆さんの温かいまなざしが脳裏に浮かびます。APUを別府で開設することになった時責任者だった私の心配の一つは、地元市民の皆さんと世界から集まる学生がうまく折り合っていけるかどうかということでした。しかし、それは杞憂でした。今、大分、別府では、APUの学生諸君は地域になじみ、地域の発展にも高い関心をもって貢献しようとする姿を見ます。そして、世界のどこにいても、「別府に帰ろう、APUに帰ろう」と、別府とAPUを思う熱い心を共有しています。


地域が学生を育て、学生が地域を発展させる。その中で学生は、社会を変える力を身に着けていく。未来志向の、大学、学生と地域との共存の理想的な形の一つがここにあります。私はこれを頼もしく、また誇らしく思っています。


今後ともAPUをよろしくお願いいたします。



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