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APUの学部生は論文を書くことを選択することができます。論文の執筆を希望する人、またはすでに論文を書いている人のために、ここで優秀論文賞を受賞した卒業生のシーラ・ダミア・プトリンダさんからのアドバイスをご紹介したいと思います。シーラさんはAPUで得た経験を有効に活かし、東京にある三菱自動車に就職し、現在はドイツ・ベルリンの大学院で勉強しています。そんなシーラさんに私たちはオンラインインタビューを行いました。現役のAPU生にとって貴重なアドバイスを聞くことができました。
【卒業生プロフィール】
名前:シーラ・ダミア・プトリンダ
出身国:インドネシア
卒業:2013年アジア太平洋学部(APS)
優秀論文表彰(論文タイトル:イスラム教、ナショナリズムおよび平和:アチェの事例研究)
駐日アフガニスタン大使館と佐賀県国際交流協会でのインターンシップを経験
職務経験:東京の三菱自動車本社に6年間勤務
現在、ドイツベルリンのヘルティ・スクール・オブ・ガバナンス の修士課程在籍(国際関係論)、APU校友会ヨーロッパ支部副会長
私も嬉しいです。APUに入学する前は、オーストラリアかニュージーランドか日本の三ヶ国のうちのどこかに留学したいと思っていましたが、その中でも特に日本文化に惹かれるものを感じていました。APUのことはAPUの先輩から話を聞いていて、他の言語を学ぶことができるなどの多文化環境についての話に刺激を受けていました。幸運にも、授業料減額の奨学金を受けることができたので、APUに決めました。
子供の頃、外交官になりたいと思っていました。他の地域出身の人たちとコミュニケーションをとり、交渉することができることに魅力を感じていたからです。それで、留学して国際関係論を専攻したいと思ったんです。勉強するにつれて、平和学と紛争解決に興味を持つようになり、その分野に情熱を見出しました。
論文を書かなくても、卒業に必要な単位を取得することはできましたが、私は自分が研究者になることを思い描いていて、修士課程に進みたいと思っていて、大学院に進学するためには論文が必要だったからです。Identity Politicsと平和学に興味があり、この二つの理論を組み合わせて、論文で分析したいと思いました。最初は論文をどう構成すればいいのかわかりませんでしたが、たくさんの本を読みました。また、同じゼミの仲間やゼミ担当の吉川教授にも助けてもらいました。
興味のある授業が見つかり、その分野について深く研究したいと思ったら、それがゼミを選ぶための絶好の出発点になると思います。その時、自分と同じような分野に関心を持っている指導教員を選ぶといいと思います。論文を書き始めたら、時間をかけてたくさんの文献を読んでください。私の場合、APUライブラリーで一度に6冊から7冊の本を借りました。また、選んだ主題について現地での研究をするのが良い方法だと思ったので、インドネシアのアチェに行きました。でも、同じゼミの仲間の中にはオンライン研究でデータを集めた人もいて、このやり方はコロナウイルス問題が起こっている今のような状況には、より適していると思います。最後に、指導教員とコミュニケーションをよくとってください。それと、論文を締め切りの一ヶ月前から書き始めてはいけません!
ラッキーなことにAPUキャリアオフィスを通して2つのインターンシップ先を見つけ、インターンシップで単位を取得することができました。私は国際関係論に関係した分野の研修を経験したいと思っていたので、選んだ2つのインターンシップ先(駐日アフガニスタン大使館と佐賀県国際交流協会)は最高に合っていたと思います。インターンシップ期間は数週間で、主な仕事は広報やイベントの企画などでした。佐賀県国際交流協会でのインターンシップは日本語で行われたので、日本語力を高めることもできました。
日本で就職しようと決めた時、経済開発に関連した製造業かインフラ関係の仕事をしたいと思っていました。例年2月から3月にかけて、多くの企業がAPUに新卒学生をスカウトしにやってきます。三菱自動車の人たちが来学すると聞いて、その会社について調べてみると、東南アジアでの事業を拡大していると知りました。私の言語能力が有利となり、東京で最終面接が行われ、その結果、三菱自動車への入社が決まりました。私はこの仕事を通して世界各地に出張し、自分の知識を広げることができました。
APUのいろいろな課外活動に参加した経験は、大いに役に立ちました。私は日本の伝統舞踊サークル「荒馬 緒」に所属していました。「荒馬 緒」でたくさんの日本人の友人ができ、日本語力を高めることができました。通常企業が学生のリクルートのためにAPUを訪れる時、学生の言語能力を重視しています。というのも、APUの学生のほとんどが二ヶ国語以上話すことができるからです。英語とインドネシア語に加えて、日本語も上手に話すことができる能力は、私にとって本当に有利でした。また、ティーチング・アシスタント(TA)として働き、インドネシア・ウィークに参加した経験もあったので、チームワークとリーダーシップを発揮することもできました。全体的に見て、APUで培った経験を通して自信がつき、人間力を高めることができました。
日本企業で数年働いてみて、もっといろいろなことに挑戦したいと思いました。会社のシステムに慣れて、それ以上のものが欲しいと感じました。更なる上を目指したいと望む若者として、私は会社だけに制限されているように感じました。就職する前から修士課程に進みたいと思っていたので、学校に戻って国際関係論の勉強を続け、インドネシアと日本だけでなく、幅広く世界中でチャンスを広げようと決めました。私には大きな夢があったので、勉強を続けることによって、仕事の面でも人間としての成長の面でも、多くの重要な段階に達することができたと思っています。
平和学、紛争解決、国際安全保障についてより深く勉強したいと思っていたので、今の大学の修士課程を選びました。ベルリンを選んだ理由は、二回の世界大戦を通じた豊かな歴史があるからで、APU在学中に長崎と広島で現地調査した経験とつなげることができるような気がしました。APUでの経験がなかったら、ベルリンに来ることはなかったと思います。そういう思いから、APUに恩返ししたいと思い、現在、APU校友会ヨーロッパ支部の副会長をしています。スイスのジュネーブで開催された会合に出席したことがありますが、ジュネーブの国連で働いている人も複数いました。
APUは自分の世界を築くことができる場所ですが、最終的にもっとも重要なのは、あなた自身の行動です。APUができることは多くのチャンスを提供することだけで、あなたの世界を築くことができるのは、あなた自身です。APUの時間を最大限に利用してください。
貴重なアドバイスをいただき、ありがとうございます!お元気で、研究も頑張ってくださいね。
取材で通常なら出会うことのない学生や教員と話せて、面白い話を聞きだせるSPAの活動が大好きです。面白い話があったらぜひ知らせてください。