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2019/02/06
出口治明学長は、日経ビジネスオンラインにて「APU学長日記」を連載し、学長就任からの歩みを語っています。今回は、番外編として今村正治副学長が、「こうして出口学長が選ばれた」を語っています。
前回の記事(「APU副学長が解説!こうして出口学長が選ばれた」)では、出口さんがAPU(立命館アジア太平洋大学)の学長に就任するまでの経緯について説明しました。
そもそも、なぜ「出口さんに学長になってほしい」と思ったのか。
1つ目の理由はスケールの大きな「改革者」でありビッグな「アマチュア」だったからです。
APUは2000年の開学から20年近く経ち、そのユニークさや教育システムが評価され、さまざまなメディアにも取材に来ていただけるようになりました。けれど、それは20年前に別府で発した光がようやく世の中に届きはじめただけではないか。星の光と同じで、もう“古い光”かもしれないと思ったりもします。
今すべきなのは、数年後、数十年後に届く光を発すること。しかし、それが難しくなっているという気がしていました。なぜか。
みんながAPUを愛しすぎて、居心地のいい場になってしまった。だから、その空気を大きく変えてまで改革や新しいことにチャレンジすることが難しくなってきているのかもしれない。そう感じていたのです。
さらに、開学当初は国際大学のアマチュアだった私たちも、気がつけば国際教育の「セミプロ」くらいにはなってきました。名だたる国際系大学から「絶対に失敗する」と言われながらも、無我夢中にチャレンジしたど素人集団は、知らず知らずのうちに常識や前例にとらわれ、変わることに躊躇(ちゅうちょ)するようになったと感じることもありました。
「改革に二の足を踏むセミプロ」にとって、出口さんは非常に魅力的でした。
還暦で、しかも生命保険という保守的な業界で、常識に縛られずにスケールの大きいことを成し遂げた人。しかも教育界のアマチュアでもある。思い込みもしがらみもありません。
出口さんの著作にも、「ライフネット生命はアマチュアだけでつくった、日本生命の部下は誰も連れて行かなかった」というエピソードがあります。常識や前例を吹き飛ばし、変革を起こすのはいつも「偉大なる素人」です。その意味で、出口さんはAPUが求める学長像にぴったりだったのです。
企業のトップを経験した改革者というだけでなく、大学運営においては学識を持っていることも重要でした。
大学は、教育・研究、学問の府、知的集積の場です。知識人として構成員が相互にリスペクトするためには、学識が必要です。出口さんは、経済人にしてはその点を超越的にクリアしていました。幅広く深い学識を持ち、多くの著作もある。さらにそれらの知識を生かし、自分の頭で考え、実行に移した経験まであるのですから。
また大学という場と出口さんの人柄の親和性が高かったのもポイントでした。
民間企業の方とお話しすると「大学経営なんて生ぬるいのでは?」と言われることもありますが、とんでもない! 知的探求者としてともすれば批判的で弁が立ち、しかも何より上からの指示命令を嫌う人間が(僕もですが)多数である組織をマネジメントするわけです。
前々理事長である大先輩が「大学を経営体として考えれば、社員の半分が弁護士の会社のようなものだ」と冗談のように言っていましたが(弁護士のみなさん、すいません)、まさにその通りです。今まで、どれだけの民間企業経営者が大学運営にチャレンジし、そして去っていったことか……。
しかし出口さんは、知識人――いや、「人」に対するリスペクトを常に忘れない「傾聴力」があります。自慢話も苦労話もしません。大学の一種独特なコミュニティーとの親和性が、経済人として奇跡的に高いと感じました。
こんなふうに出口さんを推した理由はいくつもあるのですが、何よりも、彼のキャラクターが魅力的だったんです。常にひょうひょうとしているのに、どこかチャーミングで、いつの間にか、みんな彼のペースにハマっていく(笑)。
面接や模擬講義などの選考を重ねる中で、その人間性にひかれていった。みんな、好きになっちゃったんです。
では、実際に、出口さんが学長になってから、APUはどのように変化しているか。一番の変化は、スピード感でしょう。
大学運営が抱える問題の一つに、意思決定に時間がかかるということがあります。時間をかけ、持ち帰り、委員会をつくり、何回ともなく議論を重ね、「みんなで決める」ことを大事にしている。実はこれ、「私の責任で決めさせてもらいます」はなかなか言いにくい環境なんですね。
しかし出口さんは違います。全員の意見を丁寧に聞き取りますが、それを踏まえて、意思決定してしまう。そのサイクルが非常に早いのです。
出口さんにとっては当たり前のことかもしれません。時間的な制約があり、条件が整わない中でこそ、リーダーは判断を下さなければならないと考えているからです。けれど、これは大学の人間としてはちょっと衝撃的なことでした。
教員も職員も、物事が決まるスピードに相当驚いたと思います。
このスピーディな意思決定によって、就任から7カ月の間に、大きなプロジェクトが3つ立ち上がり、さらには「起業部(通称、出口塾)」もスタートしました。
僕自身、今までにない「濃い」毎日でしたよ(笑)。
これらのプロジェクトはすべてAPUの未来に必要なこと、APUが克服すべきこととして出口さんが提案したもので、それぞれ3人の副学長が担当して猛スピードで進めています。
お恥ずかしい話ですが、上記3つのプロジェクトは、僕もかねてから感じていた課題です。でも、着手できずに先送りしていた。
そういった棚上げされていた問題、蓋をしていた問題に、改革者のアマチュアがガンガンと切り込んでいる状況です。
出口さんが提起する問題は、非常に的確です。もっと言えば「正しい」。
一般的に「正論」は嫌われがちですが、出口さんは自分が成果を出すためではなく「APUのため」というシンプルな気持ちが伝わってくる。だからこそみんな素直に聞けるし、必死でついていくのでしょう。
しかも出口さんは、職員に対してこう言ってくれます。
「ここを突破しなきゃと思ったら、『外部から来た、大学運営のことが分かっていない素人の学長がうるさく言うのですみません』と言えばいいですから。悪者にしてもいいので、存分に僕を使ってください」
ここまで責任を取ってくれるトップは、なかなかいないと思いますよ。
出口さんがAPUに来てくれて、よかった。正直、想像を超えていました。
彼が持っている影響力の大きさには、いまだに驚かされますし、とにかくAPUのために全力投球で頭が下がります。
自分で授業を見に行き(学生も驚いていました)、大小さまざまな意思決定をしながら、来客対応もする。「知ってもらうことがトップの仕事」と言っては、可能な限り講演会のお声掛けに応じて、多い日には1日数回の講演をこなし、SNS(交流サイト)で発信し、メディアの取材にも快く応じて、広報活動に勤しむ。
APUの参考になりそうな学校や組織があれば、すぐに現地に飛ぶ――。
誰よりも働いている70歳の背中を見ていたら、僕も「疲れた」なんて言えません(笑)。彼の姿を目にすることで、教員や職員の意識もこれからどんどん変わっていくと思います。
働いている人間、属している学生の目線も自然と上がる。自信を持つ。これは数値化できない効果ですが、きわめて大きいと思いますね。
チャーミングであり、偉大なる素人であり、しかも誰よりも働き者な学長がやってきたAPU。2020年の開学20周年に向け、ずいぶん騒がしくなってきています。
(構成/田中裕子)