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2019年3月、APUの教壇を去る畠田 展行先生、加藤 匡紀先生へのインタビュー

2019/05/08

今回、2019年3月にAPUを退職された2名の先生、アジア太平洋学部の畠田 展行先生と、国際経営学部の加藤 匡紀先生をご紹介します。APUの先生は、さまざまな形で勤務をしていますが、畠田先生と加藤先生は、教員として授業を担当できる最年長まで、APUの教壇に立ち、学生への教育を行ってくださった先生です。

畠田 展行先生

約30年間、日系の航空会社で働いていました。当時は成田空港のある千葉県や羽田空港のある東京都に住んでいました。ある時、大分支店の同僚より、APUという大学が大分県に開学すること、また教員を募集していることを聞きました。他大学で非常勤講師として授業を担当した経験もあったため、興味を持ち応募したところ、APUの開学と同時にAPUで大学教員としてのキャリアを開始することになりました。

長期滞在を研究する研究者を増やしたい

APUでは、ロングステイの普及に向けて研究活動を続けてきました。65歳になるまで教員を続けようと思っていましたが、ちょうどその年齢の頃、ドイツ出身のAPU生から長期滞在者用の貸し別荘のような「ホリデーハウス」というものが欧州にあることを聞きました。これをきっかけに、長期滞在者の研究をはじめました。学生たちも一緒になって空き家探しをはじめ、別府市内成(うちなり)地域の方々の協力も得られ、2008年夏より地元住民と協力し、古民家の改築作業を進め、2009年4月より宿泊施設を運営してきました。今では、リピーターも多くなり、10年間で100組以上の長期滞在者を受け入れてきました。この取り組みは、地域の方にとっては、学生が行っているものか否かは関係ありません。そのため、学生の責任感が足りない点を厳しく指導をしてくださったことは、とてもありがたいものでした。フィールドスタディーで学生を教育するためには、学生を厳しく指導してくれる地域の方々の協力が必要です。

APUのことを応援して欲しい

日本人の中には、休みをとることを遠慮している、休みが取れないのではなく取らない、休みたいと思っていない人もいるでしょう。長期滞在型という新しい観光スタイルを推進する自分の行ってきた研究を、継承する研究者を増やし、大学として地域社会への貢献も続けて欲しいと思っています。コミュニティーへの貢献を続けるAPUのことを、地域の方々も応援して欲しいと思います。

加藤 匡紀先生

12年間、米国の企業でCEOをしていましたが、2007年に縁があり、APUで非常勤講師となり、翌2008年より専任教員としてAPUで大学教員としてのキャリアを開始することになりました。

APUでの教員生活は、飛び切り楽しかった

米国の大学院で学んでいた頃、Teaching Assistant (TA)として少人数のクラスを担当したことがありました。学期末に受講生による投票が行われ、40名のTAに順位がつけられたのですが、私はベスト2のTAに選ばれました。ベスト1のTAは米国人だったので、外国人であり、英語も母語ではない自分が2位に選ばれたことが本当に嬉しかったです。その経験があったので、密かに教えることには興味を持っていました。APU生は、授業中の反応も良く、APUでの教員生活は、飛び切り楽しかったです。自分の知識や経験を次の世代につないでいくこの大学教員という職業は、まだまだやり足りないことが多すぎるほど、楽しいものでした。

新しいことにチャレンジする楽しさ、重要さを伝えたい

自分の人生は、常に新しいことにチャレンジするものでした。APUの教員を卒業した後は、東京に生活の拠点を移し、英国系コンサルティング企業の仕事も行いますが、一番苦手なことにチャレンジしてみようと思っています。こどもの頃からずっと「音楽」が苦手だったので、10年後にシャンソン歌手としてデビューすることを目指して、ボイストレーナーの指導のもと、トレーニングしています。日本語、英語、フランス語でシャンソンを披露する予定なので楽しみにしてください。APUの学生にも、新しいことにチャレンジすること、そしてそのことを楽しむ重要さを伝えたいと思いながら、接してきました。東京には自分が指導したAPUの卒業生もたくさんいますので、これからもAPUとのつながりを大切にしていきます。



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