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学生生活|社会貢献
「プレイボール」。
響き渡る声の主は、APU卒業生のスジーワ・ウィジャヤナーヤカさん。
2012年12月23日、スリランカに建設された南アジア初の野球場のオープニングゲーム。真新しいグラウンドも彼の目には、違ったものに映ったのかもしれません。
「夢が叶い、言葉で表しきれないほど嬉しいです」。
この日は10年をかけた彼の夢が叶った日でもありました。
彼と野球との出会いは高校時代にさかのぼります。野球文化普及のためスリランカを訪れた日本人との出会いが彼に“母国スリランカに野球場を作り、野球を普及したい”という夢を抱かせました。そして母国での社会人経験を経て、ここAPUの一員となった2006年9月が、彼の夢の実現へ向けたスタート・ラインとなりました。
「絶対にいつかできる。やればできる。絶対にあきらめない。野球場のことをいつも心に描いていました」。
もちろん、思い描くだけでは夢は叶いません。そのために彼は学業と並行しながら、日本で審判の勉強を始めました。夏休みには他県で開催される審判講習会にも参加しました。APUを卒業し社会人となってからも審判の勉強を続け、高校野球、大学野球、ついには社会人野球の審判のライセンスを取得しました。これは外国人として、初めての快挙でした。
またAPU在学中、スリランカにもっと野球を普及させようと、日本で不要となった野球道具を集めはじめました。集まったバットやグローブ、ミットは、別府市のアマチュア野球チームのメンバーのものから、縁あって協力をあおぐことができたプロ野球選手会からの寄贈品まで、コンテナ一台分にものぼります。たくさんの善意が海を渡りました。寄贈の際に面会した母国のスポーツ担当大臣との出会いが、夢の実現へ向けた、次の、そして確実なステップとなりました。
大臣の紹介で、大統領と面会する機会を得た彼は、自身の野球場建設への思いをアピールし、結果、野球場の建設用地を得ることができました。更に母国政府を介して在スリランカ日本大使館やJICA、日本政府の協力を得ることができ、スリランカの野球場建設は日本のODA事業となりました。そして2012年5月11日、ついに野球場の建設がスタートしたのです。この時、彼が夢を抱いてからちょうど10年がたっていました。
そして昨年12月、野球場落成記念のグラウンドに彼の姿がありました。
一人の少年の夢は、やがてたくさんの協力者との共同の夢となり、国を動かす大きな夢となったのです。
スジーワさんの次の夢は、この野球場でアジア大会を開催することです。
夢の実現へ向けた挑戦はこれからも続きます。