Introduction
観光から教育、そして大学づくりへ。ミャンマーの次世代を支える取り組みを広げてきた彼の歩みと、その背景にある考えをたどった。
国際関係と観光が学べる。自分にとってベストな大学だと思った
ミャンマーの外の世界を見たい。そんな思いがアウンリンテインさんを日本へ、そしてAPUへと導いた。
私が学生だった1990年代後半、ミャンマーは長く続いた社会主義体制から徐々に経済が自由化にむかいつつある時期でした。日本など外国からの投資や観光業の可能性が話題になっていたので、それならば外国を直接みてみたいと思いました。すでに私はミャンマーの大学で学んでいて、学業の合間に英語の通訳ガイドなどのアルバイトをしていたので、なおさら外の世界を見たいという思いが大きかったと思います。
そこで、京都外国語大学で1年間日本語を学ぶことにしました。そして、京都にいる時に、APUが開学するというチラシを見かけました。世界中から学生が集まる、そして自分が学びたいと思っていた国際関係や観光について学べる。ここだ、と思いました。当時すでに24歳ぐらいだったこともあって、学びたいこと、やりたいことがはっきりしていました。
その後無事合格し、大阪から船にのって別府までやってきました。開学1年目でしたから、まだキャンパスの施設も整っていなかった部分もありましたが、教室や設備が整っていく過程に学生として立ち会えたのは今思うと貴重な体験でした。学校の先生やスタッフの方々がとても親切で、相談すればすぐに対応してくれたのも良い思い出です。
本当にさまざまな国から学生が来ており、私も含めだいたいの学生は、最初は「自分の考え方が正しい」という一方通行の考えを持っているのですが、次第に「相手の見方もある」「考え方が違っても付き合える」という感覚に変わっていきます。また、本に書いてあることを鵜呑みにせず、批判的に読めるようにもなったと思います。たとえば、中東情勢についての本を読んで疑問に思ったら、実際に中東出身の同級生に話を聞いてみれば良いわけですから。
そして、自分にとっては熱心なAPUの先生たちとの出会いが何よりも大きなものでした。観光学は、小方昌勝先生に観光分野の基礎をすべて教えていただきました。異文化理解、文化比較の視点は、大橋克洋先生に学びました。そして、国際法の堀田牧太郎先生には世界を構造的に理解する方法を学びました。いまふりかえってもAPUでの学びが、国際社会で生きていくための基礎をつくってくれたと実感します。
観光学の小方先生には、ミャンマーへのスタディツアーを2度も企画していただき、私はスタディツアーのリーダーとして各回10名ほどのAPU生を連れて、文化、自然、宗教の3つのテーマを軸に、ミャンマーの現地の暮らしや歴史を説明するツアーを企画して実施しました。まだ世界遺産に登録される前のバガンの遺跡を案内できたことも嬉しかったですね。バガンは、11世紀に造られた寺院や仏塔が約3000基も残っていて、ミャンマー最大の文化遺産です。
この経験は、現在の観光ビジネスを立ち上げることにつながっています。
ボランティア活動も思い出深いです。2002年World Cup Soccer 大会で通訳のボランティアを務めたことがきっかけで、JTB大分支店とのご縁ができ、その後の仕事でもおつきあいすることになります。
旅行会社の創業―“ミャンマーを知ってもらう”から始める
卒業後すぐ、アウンリンテインさんはお兄さんと旅行会社を立ち上げた。ミャンマーが世界へ開き始めた時代、まずは来てもらい、知ってもらうこと。それが社会を動かす力になると信じていたからだ。
ミャンマーが発展するにはどうすればいいかと考えると、外国からミャンマー社会に投資してもらうことが大事です。それならば、まずはミャンマーを知ってもらう必要がある。旅行でミャンマーにきていただいて、どういうところなのかを知っていただければ、「じゃあ、ここでビジネスをしたい」「ここに投資してみたい」となるかもしれない、と考えました。そんな思いから、兄とともに、Myanmar Polestar Travels& Tours旅行会社を立ち上げました。
最初は本当に大変でした。ビジネスのために日本に行く飛行機チケットも最安のものを何日も探して買っていましたし、最初は売り上げもほとんどなかったです。APUの同級生からは日本で働いていたほうが良いのではないかと言われたこともありましたが「ミャンマー社会はもっと良くなっていくはず」、そのために働きたいという思いがあったので頑張れました。
日本の旅行会社やミャンマー現地のホテル・レストランとの交渉を続け、少しずつ信頼を得ていきました。兄が株式会社阪急交通社さんとの関係を築き、旅行ツアーを多く受けることでノウハウが増え、そこからビジネス視察や企業案件につながっていきました。業績も5年目ぐらいからよくなっていきました。
2013年にはJTBとJTB-Polestarという合弁会社をつくりました。2019年には、バガンにホテルもオープンしました。
介護分野、給食、食品加工などの分野で人財育成を行い、日本とミャンマーをつなぐ
旅行ビジネスで経験を重ねたあとに手がけたのは、 “人を育てる仕組み”だった。ちょうどその頃、日本では技能実習制度が整備され、介護・福祉の分野で外国人材の受け入れが本格化していた。一方、ミャンマーでは高等教育と雇用の機会が限られ、若者が専門スキルを身につける場が不足していた。両国のニーズが重なり、「人財育成こそがミャンマーの若者の未来を広げ、日本社会の力にもなる」と考え、介護・福祉分野の人材育成事業に踏み出した。今では、ホテルや外食、給食、食品加工の分野の人財育成にも取り組んでいる。
もともと、人財育成をやりたいという気持ちがありました。APU時代に大原簿記専門学校でアルバイトをしていて、ビジネスマナーや会計の授業を見た経験があったので、日本は何をするにも資格が必要で、人を体系的に育てている。その一方で、ミャンマーでは資格がなくても働ける、という違いを強く意識していました。そこで「ミャンマーでも国際的に通用する人財を育てたい、学校をつくりたい」という思いが芽生えたのです。
その後、ミャンマーではほとんど知られていなかった「介護」の分野で、日本企業(札幌の株式会社さくらコミュニティサービス、岐阜の株式会社笑顔いちばん)とミャンマー政府の保健・スポーツ省とも組んで介護職業訓練学校 “ポールスター介護サービス(Polestar Kaigo Service)”を設立しました。”ほとんど知られていなかった”、というのはミャンマーでは、高齢者の面倒は家族が見ることが当たり前になっており、「介護」という職種や分野が、あってないようなものだったからです。
介護職業訓練学校を卒業した人たちは、外国人研修制度を活用して日本で働きます。その「送り出し」をするための会社として”ポールスターサービス(Polestar Services Co.,Ltd)”も設立しました。
また、介護分野に加えて、日本の病院施設や福祉施設の給食サービスを提供する会社(日清医療食品株式会社)と一緒になって、調理給食分野の人財育成と送り出しも行っています。日清医療食品ミャンマー社の日本からいらした講師の方から、実際に現場で必要な実技や日本の習慣、職場マナーなどを直接学びます。宿泊分野の人財育成にも取り組んでいます。こちらは自社が運営するホテルで研修ができる強みがあります。
自分たちで日本語学校(P.S.T学園)も経営しているので、日本語教育+専門教育の二本立てで人財を育成することができるのです。わたしたちが育て送り出した研修生の数は、2024年の実績だと1500名を超えます。
人財育成は、教科書を教えるだけで身につくものではない。日本で働くための言語力、現場で求められる精度の高い理解力と判断力、そして文化の違いを越える姿勢——そのすべてが問われる。
日本語や介護について学ぶといっても、実際に日本で仕事ができるレベルにならなくてはならないところに難しさがあります。例えば、私たちの日本語学校では日本に行く前にN4レベルの試験をパスすることを目標にしていますが、試験に通る日本語と実際に使う日本語は違うので、そこを補う指導をしています。また、介護については日本の介護初任者研修のテキストを使い、厳しい安全基準で動いている日本の病院・介護施設のことをよくしる日本人講師からも直接教えてもらいます。命に関わることですから、おろそかにできません。
ちょっとした習慣の違いも大事です。例えば、ミャンマーの学生は先生の前では腕を組みます。それが礼儀正しい態度だとされているからです。しかし、これは日本では失礼な態度になってしまいます。謝罪文化にも違いがあり、ミャンマーにはすぐに謝る文化がありません。こうした文化の違いなども伝え、ミャンマー人、日本人のスタッフが一緒になって、卒業生が日本で働く自覚を持ち、受け入れ側になる企業や職場の人たちの立場や考えを理解できるように教えています。
人材育成は「送り出して終わり」ではない。不安や挫折に向き合いながら前に進む若者たちに寄り添い続けている。
日本にいる子たちとは、今でも私どもが一定の管理や相談対応をしています。渡航後すぐの頃は「大変だ」「つらい」といった声が多く、泣いてしまったり、落ち込んでしまったりする子もいます。
私はよく、「とにかく、少しの間だけでも良いから頑張ろう」と励まします。最初の半年を頑張って乗り越えられれば、環境に慣れていきます。もしどうしても体がもたないなら途中で辞めてもいい。だから、まずは6か月頑張ってみようと励ましています。
最近の嬉しいニュースとしては、第1期として送り出した生徒の一人が、日本で介護福祉士試験に合格したと報告してくれました。これは日本人にとっても難しい試験です。約4年半、日本で頑張って取得しました。パートナー企業からも連絡をいただき、皆で喜びました。
また、姉妹ともに日本で働き、協力して親のために家を建てたという報告もあります。ミャンマーで働いているだけでは難しいことだったと思います。そうした話を聞くと、本当にやっていて良かったと感じます。
民間大学をつくるという次の目標
送り出した若者が日本で働き、自分の道を切り開いていく姿を支える——その先に見えてきたものがある。ミャンマーの若い人たちが学び、未来をつくっていける高等教育の場を整えることだ。APUでの学びが自分を変えたように、その経験を今度はミャンマーの若者へ届けること。それが彼の次の夢になっている。
日本語では、人材を人財と言い換えたりするように、私にとって“人は財産”。だから育成にこだわります。私たちの思いとしては、送り出した先の現場で役立つ人財に育ってほしいというのももちろんありますが、ミャンマーの若いひとたちが仕事を通じて成長して、世界のどこにいっても活躍できる人になってほしいと思うからです。異国の地で働くことはとても大変なことです。しかし、それを乗り越えて自信を持って働けるようになれば、その人の可能性は大きく広がっていきます。
そのこととも関係してくるのですが、私はいま、ミャンマーの高等教育をより充実させていきたいと考えています。近々、高校をつくるライセンスを取得する予定があり、高校の設立準備を進めています。そして、ゆくゆくは大学のライセンスも取得し、民間大学を設立したいと考えています。ミャンマーでは、大学の数が限られているのもあって、若い人たちの中には、十分な高等教育を受ける機会を持てていない人も多くいます。それをどうにかしたいのです。ミャンマーは、これまで国立大学しかなかったですが、政府としても民間大学を増やしていこうという流れがあります。日本のIT・経営・産業の知見を取り入れた民間大学をミャンマーに作れたりしたらいいですね。若い世代にとって大きな選択肢になるはずです。
日本の技能実習制度をつかって日本で働くミャンマーの若者たちについても、「日本で働いたあとに学べる仕組み」や「高等教育を受けやすくする仕組み」があれば、より良い形になるのではないかと感じています。
なので、私には今でもやりたいことがたくさんあります。いろんなことに興味があって、「これはうまくいきそうだ」と思ったらやってみたくなってしまうのです。成功すればもちろん楽しいですし、失敗したらまたやりなおすだけです。私にとって新しく挑戦することは、趣味みたいなものと言ったらおかしいでしょうか。
でも、新しいことに挑戦できるのは、人とのつながりがあるからです。お話したように、APUでの出会いも、今の私の活動につながっています。
ここまで広げてくることができたビジネスも、人との出会いのなかで私を信頼していただき、「あなたと一緒に仕事がしたい」と思っていただけたからこそ生まれたものです。信頼はいきなり生まれるものではなく、日々の姿勢の積み重ねです。だからこそ、私が若い人たちによく伝えているのは、「諦めずに自分を信じ、信頼される人であること」の大切さです。良い出会いとつながりが生まれれば、それが力となり、困難な状況にあっても粘り強く前に進むことができます。
これからも日本とミャンマーの架け橋として、若者の挑戦を支えながら、両国の未来に少しでも貢献していきたいと思います。