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アンフボルド・バヤンムンフ

ソニーのテレビが導いた日本への留学: 金融サービスでモンゴルの中小企業を支え、 豊かな社会をつくる

アンフボルド・バヤンムンフ Ankhbold, BAYANMUNKH

InvesCore Financial Group 代表取締役
2004年3月アジア太平洋マネジメント学部卒業*、2006年3月経営管理研究科修士課程修了。国籍はモンゴル国。APUでは学部でマーケティング、大学院で経営戦略について学ぶ。大学院卒業後、アビームコンサルティング株式会社入社。2012年にモンゴルに帰国。モンゴル最大手企業でVice Presidentとしてグループ全体の組織開発に携わる。2016年に4名のパートナーたちと InvesCore Financial Group を設立。現在、代表取締役を務める。
*2009年に国際経営学部に名称変更。
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Introduction

モンゴルでフィンテック企業を経営するアンフボルトさんは、APU1期生。2000年に入学し、卒業後はそのままAPUの大学院に進学。大学院を卒業後は、アビーム・コンサルティング株式会社で日本企業のサプライチェーンを改善するプロジェクトを国内外で経験。2012年にモンゴルに帰国し、2016年にInvesCore Financial Group を創業した。モンゴルを代表する金融・不動産企業に成長させ、近年はキルギス共和国を皮切りに中央アジアにも事業を展開し始めている。アンフボルトさんが積極的に事業に取り組む背景には、発展途上国の中小企業の成長を支え、社会を少しでも良くしていきたいという思いがある。インタビューは、その思いの原点でもあるモンゴルでの少年時代のお話から始まった。

モンゴルの首都、ウランバートルで生まれ育ちました。1980年生まれです。モンゴルは、僕が10歳くらいの時にお隣のソビエト社会主義共和国連邦の体制が崩壊して社会主義から資本主義の国に変わりました。経済が混乱して、もう食べ物も何も無くなって、配給制になりました。

うちは両親が共働きで、弟が1人と妹が1人、私は長男でした。だから家事は私の役割で、買い物は、配給の券を持って大人ばかりの長い列に並ばなくてはなりません。私は小さかったので、必死の思いで並んでいました。そこで、いつも一緒に遊んでいた友達が大人の間に挟まって窒息死してしまうという悲しい事件もありました。

それまで国が全部面倒見ますよって言っていたものが、国の工場なども全部倒産しました。何かビジネスをやらなければ、と国中の人たちが言い始めるような状況でした。私の両親も、いろんなものを中国で買ってきてモンゴルで売ったり、モンゴルの家畜を中国に持っていったりしていました。家族の食卓でも、どんな商売ができる?株式会社って何?といつもそういう話をしていました。自然とビジネスに興味を持つようになりましたね。

アンフボルトさんが中学生になる頃、日本に強い関心を持つきっかけとなった出来事があった。

ある時「日本からソニーという会社のカラーテレビが限定台数、モンゴルに来る」ということがあって、なんと、その購入権をお母さんが当てちゃったんです。でも、値段が高かった。両親が何年もかけて預金していたお金を全部使わなくちゃいけないくらい。両親は悩んで悩んでーー買うことにしたんです。当時ソニーの最新式トリニトロンカラーテレビ。しかも、リモコンもついているんです。映像のクオリティはそれまでの白黒テレビと比べようがないですし、宇宙からやってきたのか!という感じでした(笑)

高校生になったアンフボルトさんは、本屋さんでモンゴル語に訳されたソニー創業者の盛田昭夫さんの著書を見つける。アンフボルトさんの心に響いたのは、創業時のスローガンだった。

ソニーは、最初の頃は数十人の小さい町工場。戦後敗戦して、本当に何もない、焼け野原から、どうやってみんなで日本を良くしていけるのかって、そういうところから始まりましたよね。最初の会社のスローガンが「日本の再生」なんですよ。ソニーという会社が成長するとかそういうことじゃなくて、日本の再生。それが、当時のモンゴルの社会状況と重なって。自分も起業して、国を良くしたいと思いました。日本で勉強したいという気持ちも固まりました。

APUの学部、大学院で学び、日本のコンサル企業に就職

日本に留学しようとインターネットで情報を集めたり、人に聞いて回っていたアンフボルトさんは、知人からAPUが開学するという話を聞きつける。

自分でも調べてみると、いろんな国から留学生が集まってくる、そのコンセプトが良いなと思いました。これからはグローバルの時代だっていうのは、その時ものすごく言われていた時で、ピッタシだなと思って。願書を出して、無事入学できることになりました。

入学すると、もう本当にいろんな国の人たちがいて、いろんな価値観があって。もう何でもかんでもが新しかったですね。同じように留学してきた仲間たちと日本語を一生懸命覚えながら、片言で話をして。私たちは1期生でしたので、人数も少なかったですし、仲が良くいつも一緒にいました。発展途上国の学生も多かったので、みんなそれぞれアルバイトしながら。まあ、ものすごくいい青春でしたね。

APU入学前から関心を持っていたビジネスについても学びを深めた。

授業は、アジア太平洋マネジメント学部だったので、マネジメントやマーケティング関係の授業をとっていました。APUの大学院にも行って、戦略を専門として学びました。APUは教授たちもいろんな国からいらしていて、いろんな視点を学べましたし、皆さんビジネス経験がしっかりある方々ばかりだったので、ただの理論だけじゃなくて現場経験を活かした授業が勉強になりましたね。

また、スチューデント・オフィスやキャリア・オフィスなど学生をトータルでサポートする体制がしっかりあったのも良かったです。当時、私は大学院に進学するか就職するか迷っていました。その時キャリアオフィスの方から「まずは勉強と思って真剣に就職活動をやってみて、決断はその後でよいのでは」とアドバイスを頂き、小売、飲食、商社、銀行、メーカーと様々な企業を見て回りました。あまり就職先として考えていない業種でも勉強と思い、回りました。結局は大学院に進学したのですが、非常によい勉強になりました。

また、大学院在学時の就職活動の時も、APUは当時まだあまり知られておらず、モンゴルという小国出身の私はなかなか内定もらうことができませんでした。しかし、ゼミの教授から「今後はグローバルがMustになってくる。その時こそ君たちのような国際人材がまさに必要になってくる」と励まされたのを覚えています。

2006年に大学院を卒業したアンフボルトさんは、日本のコンサルティング会社、アビームコンサルティング株式会社に就職する。いずれモンゴルに帰って会社を立ち上げることを目標にしていたため、いろんな業界や現場を経験できるのはコンサルティング会社だ、と考えた結果だ。入社後は、サプライチェーン事業部に配属される。

アビームでは、日本の大手ハイテク企業のサプライチェーン全体の仕組みやプロセスを改善するプロジェクトを数多く経験しました。例えば、需要予測を正しくするためにはどうすると良いのかとか、その予測をどう生産計画に落とし込み、現場で実行できるようにするのか、ということです。この時の経験が、今でもすごく役に立っています。

モンゴルに帰国し、金融企業を創業

その後、2012年にモンゴルに帰国し、モンゴル大手のションクラーグループの子会社で組織変革を担当する副社長を務めた後、2016年に4名の仲間と共にInvesCore Financial Group(以後、InvesCore)を創業した。

InvesCoreは、証券、リース、ノンバンク、投資ファンド、不動産投資などの金融サービスをAIなど先端テクノロジーを使ってお客様が利用しやすい形にして提供しているグループです。創業パートナーたちと話し合う中で、金融事業でいこうとなった理由は、やはりどんなビジネスでもお金が重要になるからです。当時、モンゴルの銀行業は発達していたのですが、証券市場など銀行以外が発達していませんでした。私たちが銀行以外の金融セクターを変革し、お金を流れやすくすることによって経済の原動力を作りだそうと考えたのです。

特に、銀行を使えない、まだ使う段階にないような中小企業が使える金融サービスを提供することを意識しています。私たちのお客様のほとんどが、そういった中小企業です。

InvesCoreの提供する金融サービスは、車のローンから中小企業を対象とした融資、不動産開発まで多岐にわたる。不動産開発では、これまでモンゴルになかった、長期的な視点で不動産を維持管理し、価値を保っていく考え方を取り入れている。

近年のモンゴル経済の発展は、銅や石炭、希少鉱物であるモリブデンなど、鉱業・資源開発がその背景にある。しかし、アンフボルトさんたちが目指すのは、あくまで中小企業の発展だ。中小企業の発展は、モンゴル社会をより便利で快適なものにしていくことにつながっていく。

金融サービスに加えて、InvesCoreが業界で初めて新しくやり始めたのが、事業計画を作るとか、モノの調達や雇用契約についてだとか、ビジネス全般の相談を無料でできるようにしたことです。実際、とても手間がかかりますが、使い勝手の良いデータベースを整えたり、AIなどテクノロジーの力を使ってプロセスをできる限り自動化することで、お客さんと話をして、相談したり、アドバイスをすることに多くの時間を使えるようにしました。

InveCoreは、今年(2023年に)ヨーロッパ開発銀行(EBRD)から500万ドルアジア開発銀行(ADB)から1000万ドルなど総額2500万ドルの以上の資金を調達し中小企業を支援する提携プロジェクトを発表した。要するに、InvesCoreの構築してきた企業をサポートする仕組みや社員たちの働きが、開発銀行からも評価され、頼りにされているということだ。

モンゴルから中央アジアへ

現在の社員数は550名ほど。モンゴル国内だけでなく、中央アジアのキルギス、カザフスタン、そして2024年からはウズベキスタンでも事業が本格スタートする。中央アジアの国々は、モンゴルと社会経済状況が似ていることもあり、InvesCoreがモンゴルで育ててきた仕組みを活かしたビジネスを展開し始めているのだ。

モンゴルは、人口350万人の小さな市場です。私たちは創業当初から海外に出ていく、と言っていました。しかし、当時はモンゴル企業にそんなことができるの?という反応がほとんどでした。でも、実際に我々が金融事業で海外に出て、結果を出し始めているので、周りの見る目が変わってきていると感じます。

最近、一番嬉しかったのは、モンゴルの若い人たちがやっているスタートアップのピッチコンテストで、10社中の6社が「海外に出ます、まずは中央アジアを目指します」と言っているのを見たことです。若い人たちにはどんどん出ていってほしいし、私たちも一緒にやっていきたいです。最近は、モンゴルの大手企業も一緒にやりましょう、と声をかけてくれるようになりました。意識が変わってきているなという感じがしますね。

かつてソニー創業者の盛田昭夫さんの著作(とソニーのテレビ)から刺激を受け、自ら事業を起こして「社会を良くしていきたい」と願ったアンフボルトさんの思いは、モンゴルの人たちにも伝染し始めているようだ。そして、その情熱は国という枠組みを超えて広がっていく。

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