新学長が舵を取るこれからのAPU
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スリランカ大学建築学科卒業後、留学生として来日。東京大学大学院修士課程、博士課程で学び、国際連合地域開発センター主任研究員等を経て、1994年立命館大学国際関係学部教授。2004年4月に立命館アジア太平洋大学学長就任。スリランカ出身。




APS2回生、日本 /
立命館アジア太平洋大学 新聞部代表
カセム学長と直接お話して、学長の考えを知ることができた非常に良い機会でした。今後はAPUをよりよくするため、もっと多くの学生がこうした機会を持てるように積極的に求めていく必要があると思います。



APM3回生、ブルガリア /
APハウス RA
学長の人柄がお話の中で伝わってきました。それに色々なことに興味を持ち、色々な経験を重ねている。私も30年後には現在のカセム先生のようになれればと思いました。



APM1回生、インド /
APU Boundless代表
カセム先生のお話は、大変興味深く、特に異なる環境や文化の中でも恐れず前向きに進む先生の考え方はとても刺激的でした。


 新学長モンテ・カセム先生を囲んで、「このキャンパスの中で今自分たちの考えていることを率直に話してみよう」という意図で企画された座談会。
 最初は緊張気味だった学生の皆さんも、カセム先生の穏やかで温かい人柄にリードされ、何だかゼミの一室で先生を囲んで話しているような、親しく、和やかな座談会となりました。
 留学生として来日し、教師としての経験を重ね、これから学長としてAPUを引っ張っていこうとするカセム先生に、参加した学生の皆さんも率直にアドバイスや意見を求め、予定時間をオーバーしてもなお話は終わらず、引き続きランチミーティングとなってさらに盛り上がりを見せたようです。

不安と期待、そして希望・・新入生の心境です。

  カセム:自己紹介代わりに少し私のことをお話しします。学生時代はラグビーばかりやっていたせいで、健康そうに見えても結構体の中はガタガタです(笑)音楽も大好きで、亡くなったマリア・カラスは大好きな歌手でした。結構音にはこだわりがあるので、家中にたくさんのスピーカーを備え付けてますね。
ラジャ:私はカセム先生がこの大学をどう見ているかという点にとても興味を持っているんです。立命館の教授でいらっしゃったカセム先生がAPUの学長になるという話を受けた時、どう思われましたか。
カセム:APUの学長に、という話があった時、本当にビックリしたんです。立命館大学に居た頃は、APU設立の構想が持ち上がった初期の段階で多少関わり、強い関心を持ってはいましたが、その後直接的にAPUの仕事に関わる機会のなかった私に、学長という任務はあまりに重かった。
ラジャ:迷いがあったと。
カセム:もちろんです。そして不安もあった。何より教員という立場で学生たちに触れ合うことのできるその時の仕事がとても好きだったから。しかし、こんな私でもAPUの未来を担う力がある・・・・そう信じてくれる人がいることに大きく心が動いたんです。もちろん断わることもできたけれど、そう信じてくれている人たちを失望させることのほうが辛いと感じたんです。
エリカ:就任された今はどんなお気持ちですか。
カセム:新入生だった頃のみんなと同じ、いろいろなことを模索している段階です。でも、実際にこの土地に来て、日々仕事をこなすうちに、ここからまた新たな可能性が開いていくんだと希望が湧いてきましたね。
エリカ:私たちと同じなんですね。 
カセム:皆さんの期待に応えることができるのだろうかという不安と可能性という魅力。いつの時代も新しいことに向かい合い、開拓精神を持つ新入生の心境は複雑です。皆さんに私が良い働きができるように助けてもらわなくてはいけませんね。

言語の壁を超えた交流のかたちとは

  カセム:ところで皆さんは、今どんなことに興味を持って、どんなキャンパスライフを送っているのですか?
エリカ:私は今RAとして、APハウスで生活する学生のサポートをしています。ただ、時々国内学生と留学生の壁を感じることがありますね。
須 田:きっとそれはAPハウスでなくても感じる壁だと思うよ。
エリカ:私たちRAが率先してその壁を取り除いて、お互いが理解し協調しながら暮らす方法を考えなくてはいけませんよね。実は今、他のRAと計画して、毎週1回映画上映会を開催しているんです。どんな映画が見たいかみんなに聞いて、上映する映画をピックアップしています。映画なら各国共通で楽しむことができると思って。
ラジャ:私たちのサークルが作っているAPUのWeb情報誌「Boundless」のサイトの中で、実験的に1つのテーマについてオンラインで話してみるのも面白いんじゃないかな。どういう点が壁になっているのか、どこが噛み合わないのかって。
カセム:皆さんそれぞれの環境によって事情も違えば、壁を感じる部分も違うでしょうね。ですから、いわばこの問題は起こるべくして起こるもの、そうとらえてはどうでしょう。問題が起きたからといってすぐにあきらめてしまうのではなく、これがダメなら今度はこの方法で、といつも前向きに、話し合おうという姿勢が重要になってきますね。更に、そうして問題の解決法や、どうやって一つにまとめることができるかなどを話し合い、考えるプロセスも実に大切です。私も皆さんと一緒に考えていきたいと思います。
須 田:解決法に結びつくかどうかは分からないけど、例えば、言語にとらわれない交流の場があってもいいんじゃないかな。どうしても言葉の壁はあると思うから、複雑な会話がなくても協力できる、そんな環境がキャンパスにあればもっとお互いを理解できると思います。
ラジャ:言語にとらわれない交流ってたとえば?
須 田:エリカが開いている映画上映会もそのひとつだと思うし、他にも体育や音楽の授業とか、各国の料理を作るとか—カセム先生はどういった交流を経験されましたか?
カセム:1970年代に日本を含むアジア各国から集まった研究者達と『グループ・アジア ’80』というチームを作り、8年間にわたって共同研究を行いました。その時は共通の言語を日本語として、「80年代のアジアはどうあるべきか」というテーマで様々な分析を行い、議論を交わしました。アジアのある地域に対して、自分の専門分野の視点から眺めると何が見えてくるのか、我々の研究が自分の国や地域でより良い方法で生かせることはないかなどを考えたこの8年間は、私にとって素晴らしい経験となりました。同時に、お互いの知識や経験を伝え合う言語を持っていること、互いに比較することのできる地域や国をバックグラウンドに持っていること、この2つの土台がいかに大切かということを実感したのです。皆さんにも、まず自分の得意分野を作り、それを相手に伝えることのできる言語力を持ってもらいたい。そしてAPUはこうした土台づくりができる第1級の学習機会が用意された場所だということを感じてほしいですね。
ラジャ:そうなると私にとっては日本語の勉強が重要になってきますね。先生おすすめの日本語の勉強法はありますか。
カセム:新聞や雑誌の記事にある表やグラフの説明を読むこと。そうすれば、その記事を読んでいく手がかりになる言葉がたいてい含まれています。ということは、時事問題のカギになる言葉もたくさん含まれているということです。私はそれほど漢字が読めない時でも、こうした勉強を日々続けていたので、明治時代の統計が読めた。
ラジャ:学長直伝の日本語勉強法。早速実践してみます。

APUは小さな地球、小さな国連

  エリカ:これからAPUで学長が考えているプランを教えて下さい。
カセム:APUは開学からこれまで、日本の中だけでなく、世界各国から注目され、多くの著名人が興味関心を持って、このキャンパスを訪れてくれました。これからはそうした皆さんとの関係を活用して、皆さんの知恵と知識をAPUに結集し、APUを「知識創造の場」として何かを発信していきたい、と考えています。
 実は今年10月、国連大学と立命館が共催する国際会議をAPUで開催する計画があります。これには一流の専門家が参加して、イラク後の新しい国際秩序をどうすべきか、といった議論を交わしていきます。このような会議が我々のキャンパスで開催されるというのは学生の皆さんにとって非常に貴重な機会になると思いますよ。
 APUはいろんな国の人が学び、暮らす、いわば小さな地球のカタチ、小さな国連、そういっても過言ではないでしょう。この環境を生かして、お互いの知識や経験を伝え合う言語をしっかり学び、各国の友人とそれを比較し、議論しながら相互の理解を深めて欲しい。そうすれば、きっと他のどこでも成し得ない、APU独自の発想やプランが生まれ、発信できるのではないかと期待しています。いえ、むしろ確実に実現できる大学だと確信しています。APUが持つ財産を大切にして、ますます学習意欲を高め、切磋琢磨して欲しいですね。


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