今やAPUの学生たちの課外活動の場はキャンパスに留まりません。
地元の活性化に乗り出す者あり、世界へ見聞を広めに行く者ありと、
活躍のフィールドを広げていっています。
そんな学生たちの活動から、今回は北京で地元の大学生らと交流をした訪問団と、
APUの学生が数多く暮らす亀川を盛り上げようと頑張っているグループの二組をご紹介します。

   
APU北京交流訪問団、結成


 APUの4つの学生サークル「天下」「和太鼓“楽”」「にほんごねっと」「太極拳サークル」の総勢25人が訪問団を結成し、北京へと向かったのは2005年3月1日のことでした。昨年6月に香港城市大学の学生がAPUを訪問した際に和太鼓などを披露したところ、大変喜ばれた経験から、日本文化の紹介を通して、日中両国の学生がより理解を深め、APUについても知ってもらおうと今回の訪問は計画されました。15日間に渡り、中国の文化遺産の見学や清華大学、北京外国語大学という二大学の学生との交流を行うことができました。

日本語会話能力に驚き
 清華大学では、学生による民族音楽の練習を日本語学科の1年生と見学することから交流活動が始まりました。双方で演奏の感想を話し合う中で、APUの学生が驚いたのは彼らの日本語会話能力の高さでした。半年間の学習経験で、日本人との会話に違和感がないレベルまで達しており、にほんごねっとのメンバーからも驚きの声が上がりました。

文化紹介ブースで交流
 両大学で、サークル毎にブースを設けて交流をしました。天下はAPUの宣伝、日本料理鑑賞会、太極拳サークルは日本の観光・携帯電話の紹介を担当。にほんごねっとによる日本語教室、和太鼓 “楽”の伝統文化紹介など、複数のサークルが協力することでバラエティに富んだ内容になりました。日本語や英語がよく分からない学生もAPU学生の言葉に真剣に耳を傾けてくれました。
 また、北京地壇公園などで、太極拳の先生にパフォーマンスを披露してもらい、指導を受けるなど本場ならではの経験も数多くできました。

訪問の成果
 今回、訪問団に参加したメンバーの、「中国の歴史の奥深さや大きく広い心を感じた」「歴史問題に触れ、考えた」「北京の太極拳サークルと運営、発展などについて意見交換ができた」などの声からは、15日間で得たものの大きさが感じられます。今回の訪問は各サークルが得意分野で協力し、所属する中国人のメンバーの貢献により成功しました。APUならではの多文化環境を生かした充実した訪問となりました。



   
テーマは「温故知新→」



 豊かな温泉と昔ながらの町並みを有する別府市亀川地区は、多くのAPU学生が住む「地元」です。そんな亀川で2004年12月18日に、学生登録団体「亀川の文化祭実行委員会」が「亀川の文化祭」を初めて開催しました。コンセプトは「温故知新→」。亀川に息づく地域文化を活性化すると共に、新たな協力関係を生み出すのが狙いでした。

長い準備期間を経て実現
 実行委員会のメンバーは約30人。8月ごろから活動を開始し、連日会議を開いて開催の準備をしてきました。パンフレット作成や資金調達の調整をしながら、地元企業やメディアに後援を依頼して回りました。1000人規模のイベントを企画することをメンバーの誰も経験したことがなく、戸惑うこともしばしば。例えばパンフレット作成が仕上げまで1週間という強行スケジュールになってしまったこともありました。たくさんの人の協力や、メンバーで力を合わせて続けたことが「亀川の文化祭」実現につながったのです。

多種多様な「文化祭」
 当日は亀川小学校を舞台に、APUのサークルによる、よさこいや和太鼓、アジア各地の民族衣装のファッションショーといったAPUならではの多文化環境を活かしたイベントから、往年の亀川の風景を集めた写真展、亀川ウォーキングなどの地元文化の奥深さを感じさせる催しまで、新旧住民の協力あってこその多種多様な内容で来場者を魅了しました。

実行委員会から(亀)OKOSHI設立へ
 この実行委員会有志がさらなる亀川の持続的な発展を目指して団体を設立しました。この新団体・(亀)OKOSHIにはAPU学生など12人が参加。「OKOSHI」の由来は、むかし亀川が「御越町」という町名だったこと、そして「町おこし」の意味あいも込めています。今後は亀川での調査・インタビューなどを実施し、日常的な交流に重点を置いて、継続的な活動を目指します。



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