戦争記憶の継承に日本独自の新たな扉を開く。
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概要
ダークツーリズムとポップカルチャーからの視点が生む、日本の新たな「メモリー・スタディーズ」の可能性。
日本の戦争の記憶においては、国内外に広く知られるヒロシマ、ナガサキ、オキナワが、“公式な”記憶とされがちです。しかし、そうした大きな記憶の影には、小さな記憶や隠されている記憶、いわば“非公式”ともいえる記憶が無数に存在します。例えば広島においては、ほとんどの戦争の記憶が、原爆の被害の記憶として標準化されていますが、その影に、隠された加害の記憶として大久野島の毒ガス工場が存在します。戦争の記憶とは多様で複雑なものなのです。
また、戦争の記憶継承において、日本は転換期を迎えています。戦争体験者の高齢化が進み直接的な語り継ぎが難しくなり、一方で広島や沖縄の記念館・資料館がリニューアルされるなど、次世代へ記憶をどう継続させていくかが課題となっています。この状況下、「記憶」そのものについての問い(「誰の」「何のための」記憶か、など)、継承されるべきとされる記憶はどのように作られ、伝えられ、あるいは忘却されるのかの問いなどが多くの場で論じられるようになってきました。
本研究の代表者は、長年、集合的記憶を研究する中で、メディアや文化、中でも映画やアニメ、マンガ、ゲームといったポップカルチャーの果たしてきた役割に注目しています。
戦争記憶の継承においても、そうしたユニークな観点から研究を続ける中で、ツーリズム研究から戦争記憶を研究するダークツーリズムと出会いました。もともと、死や苦難をテーマとするツーリズムと定義されたダークツーリズムは、日本の戦跡や平和ミュージアムについての研究にも有用な概念ではあるものの、西洋的文化・歴史的背景が基盤となっているため、改変させた形で日本(またはアジアの国々)のケースに援用しながら、国内でも異なる立場や様相をもつ複数の戦争の集合的記憶構築について考察を行っています。前述の広島県大久野島では、歴史の闇に隠された毒ガス工場跡を持つ島が、“カワイイうさぎの島”としてSNSで人気の観光名所となり、毒ガス使用が生んだ苦難とうさぎと自然を楽しむレジャーの場所です。興味深いのは、ここには日本ならではの独特の形でダークとポップのパラドックスの構図が存在しているところです。そこから戦争記憶の継承におけるリアリティと新しい可能性が見えています。
本研究では、「メモリー・スタディーズ」という捉え方で学際的な知を融合させ、戦争記憶の構築のプロセス-個人的記憶と集合的記憶の連携-について、時間軸・空間軸の両側面からひもといていきます。
新規性・独自性
脱西洋視点の複層的アプローチで、新しい戦争記憶の構築の多面性を解明する。
本研究の大きな特徴は、社会学、教育学、心理学、観光学、メディア・文化学など、さまざまな学問分野で行われてきた戦争記憶の研究が、「メモリー・スタディーズ」というキーワードで重なろうとしていること。また、そのアプローチが日本ならではの脱西洋視点のものであることです。
まず、欧米中心に発展してきた「ダークツーリズム」の概念を、アジアの文脈から根本的に問い直しています。特に日本における戦争遺産をめぐるツーリズムでは、欧米のように死や悲しみを強調するのではなく、その先にある希望や平和への願いが重視されます(日本には戦争記念館ではなく平和祈念館があることは、それを示唆しています)。この特徴に着目し、本研究では例えば「希望ツーリズム」という概念を提示するなど、ダークとライトの一見奇妙に見える共存を説明する概念についてさらに議論・追究することを目的としています。
また、戦争記憶の継承において、従来の教育的アプローチだけでなく、観光やポップカルチャーが果たす役割に注目しています。若い世代の戦争記憶は、アニメやマンガ、ゲームなどのポップカルチャーや、SNSなどに影響される観光により再構築されるためです。
現在、広島県大久野島を主なフィールドとして、戦争記憶の多様性と、その継承のあり方を探究しています。大久野島は、かつては日本軍の毒ガス製造工場の存在によって地図から消されたダークな戦争遺産であり、現在は主にSNSの力によって、“うさぎの島”として国内外からの旅行客を集めるポップな観光地となっています。本研究ではそうした、痛みとレジャー、ダークとポップの共存する、国際的に見ても特異な状況が、若い世代の新しい記憶継承の可能性を開くことを「メモリー・スタディーズ」という捉え方から明らかにしようとしています。


大久野島では、毒ガス工場の遺跡にも多くのウサギがいる。訪問者からは、「ウサギのかわいらしさと遺跡の不気味さの対比が、不思議と魅力的」「戦争の悲惨さが心に重くのしかかるが、ウサギたちが慰めてくれる」といった声が上がる。痛みと楽しみ、ダークとポップが、対立するのではなく、補完し合っている。(研究代表者が撮影)
関連研究
Revisiting the Educational Tourism at War Heritage Sites: An Asian Perspective Beyond Dark Tourism
Uncovering the black-box of educational dark tourism: Comparative analysis of the mechanisms of packaging and perceiving of war narratives through war heritage sites between former enemies
研究代表者

YOSHIDA Kaori
アジア太平洋学部 教授
当ページの内容をPDF1ページにまとめたサマリーを、こちらから表示し、プリントすることができます。
私は、メディアを通じて行われる集合的記憶構築と継承のありかたに関心があり、長年研究を続けてきました。その研究の延長でダークツーリズム研究に出会ったとき、ツーリズムをメディアの一つの形と捉えることで、さまざまな学問領域の重なりうる「メモリー・スタディーズ」という概念にたどり着きました。
戦争の記憶は、単なる過去の記録ではありません。それは未来を創るための鍵にもなります。本研究で、観光やポップカルチャーと記憶との関係を理解し、それをこれからの記憶継承の具体的な方策に生かすことで、次世代を担う人々が複雑な戦争記憶の構築と構造などについて理解し、新しい社会を築いていくための役に立ちたいと願っています。
立命館アジア太平洋大学 教員紹介
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