「百聞は一見にしかず」
 私はこの言葉があまり好きではない。「冷たい言葉だな」と思う。この言葉の意味は、文字通り、「人から何度も聞くよりも、実際に自分の目で見た方がいい」ということだ。これが間違っているとは思っていない。それどころか、まさにこの言葉を地で行く形で、若い頃、世界中を放浪した。
 この言葉の由来を少し調べてみた。西暦80年ごろの中国の王朝「前漢」の歴史について記した書『漢書』の中の「趙充国伝」に出てくる。戦争に関して記述している部分で、「百聞は一見にしかず」の後に「兵(または戦闘)のことについては遠くからではよくわからない。できれば城に行って図を書いて対策を立てたい。」と続く。つまり戦闘の際に重要な事として述べられている。だから、その他どんな場合にでも、これが当てはまるとは考えない方がいいだろう。
 2008年にAPUに赴任して以来、今年で10年、ゼミ生の論文指導をしてきた。私は一応、経済学者なので、非効率な事、有効でない手段を使用することが、それほど好きではない。そういう意味で、ゼミ生の論文指導で有効な手段は、ゼミ生の書いた草稿を見て添削し、それを何度もやりとりすることであろうことはわかっている。つまり草稿を「一見する」ことだ。そこにゼミ生との話は必ずしも必要は無い。極端な話、メールのやり取りだけでも済んでしまう。
 でも、そういう手段はあまり使っていない。毎回のゼミで、ゼミ生にこの1週間、何を調べたり読んだりしたのか、今日は何をするのかということを簡単に報告してもらっている。つまり「百聞いている」わけだ。草稿という形には、まだなっていなくても、ゼミ生がどういう目的や意図で、どういうものを読み、調べているかということを聞いてあげたいと思っている。私のような愛想のない、とっつきにくい悪党に話しかけるだけで、余分な緊張感と勇気とエネルギーがゼミ生には求められるが。「百聞」は「一見」より、多分、優しい。

ふちゼミ創立10周年を迎えて

2018年2月1日 淵ノ上英樹