2016年4月14日、大きな地震が熊本で起こりました。
数日後の16日には大分でも強い揺れが観測されました。

別府市やAPUでは壊滅的な被害はありませんでしたが、
ほとんどのAPU生が今まで経験したことの無い大きな地震を体験しました。

多くの学生が別府市の避難所や、福岡や東京まで避難しました。
そしてまた、多くの学生がこの厳しい状況で
友人や地域の人々を支援する為に動きました。

今回のスペシャルでは、APU学生の視点から、
地震や地震後の活動について特集します。
地震の体験談 地震に負けず手を繋ぐ 別府市・APU:あったかい拠り所 防災活動:いつも準備万端の生活を
APU学生に地震の体験についてインタビュー

揺れに負けず、周りの人たちと助け合ったAPU生や職員教員のストーリー

APUからの温かいサポート

災害はいつ来るか誰にもわかりません、しかしそれに備えることは出来ます

×

学生広報スタッフStudent Press Assistant (SPA)
NGHIEM Quoc Hoai Minh (国際経営学部4回生、 ベトナム)さん

私が初めて地震を経験して学んだ事は、「恐れるかどうかは自分次第である」という事です。

私が地面の揺れが止むように祈っている間、避難所にいる日本人や近所の人たちが、周りに迷惑を掛けまいと通常どおりに過ごしている様子を目の当たりにしました。彼らの落ち着いた様子はとても印象深く、混乱の中で恐怖は自分自身によって作られるものだと気づきました。私は、自然災害を軽く考えているのではありません。実際に今起こっている出来事について十分な知識を得て、専門家である救助隊を信じ、常に気持ちを整えることが、恐怖を最小限にする要であることを学びました。 私達は地震の大きさをコントロールする事は出来ませんが、感情をコントロールする事は出来るでしょう。この様な過酷な状況を上手く対処した日本人に私は脱帽しました。

私は、心と体の両面を専門的なスキルで真摯に支えてくれた、避難所のスタッフやAPU、そして友人たちに心より感謝の気持ちを伝えたいです。私の心は、私達よりも深刻な状況である熊本とエクアドルと共にあります。地震は私達の復興力を試しています。それは、私達が人生の目標を達成する為に日々歩んでいる前途多難な道にも似ており、私達は皆、充実した生活を追い求める強い戦士です。私達は予測不可能な時代に生きています。みなさん、どこに行こうとも、無事で、強く、そして負けない自分でいましょう。

×

学生広報スタッフStudent Press Assistant (SPA)
ARORA Akshat(国際経営学部3回生、インド)さん

今まで経験したことのない大きな揺れが起こり、私が数百人ほどの人々と避難所に居るとき「これが今までで一番ひどい揺れだろうか?それとも、もっとひどい揺れが来るのか?それは、どれくらいひどいのか?」などの疑問が頭を駆け巡りました。

私は本震が起こった土曜日未明1時25分、約20名の友人と海岸にいました。その時、私達の携帯から一斉に警告音が鳴り、それが何の警告かもわからないうちに地面や木が揺れ始め、私たちは震えてその場に立ち尽くしました。

今回の地震は、恐らく私が今までに経験した地震の中で一番大きいもので、今まで自分はこのような状況に対処出来ると思っていましたが、それは間違いでした。逆に、その時私が思いついたことと言えば、こういった状況の中で「すべき事」「すべきでない事」では無く、ただ出来るだけ早く自宅へ戻ることだけでした。

ほとんどの人が地震後に何が起こりうるか知っているように、たとえ別府の揺れが熊本ほど強くなくとも、建物が破壊したり、津波を引き起こしたりする可能性がありました。また強い余震が起こりうる事も考え、2日間は避難所で過ごしました。タイ大使館はタイ人学生やその他の学生にも福岡まで避難するバスを用意してくれたので、私も数日間福岡に避難しました。

この2週間で、私は日本人の責任感と国の団結力を感じました。私はこんなにも細やかで、献身的で、組織された国を他に想像できません。避難所の別府市民の方々が私達学生を手助けしてくれたり、無料でWi-Fiや充電場所を設置してくれた企業があったりしたので、この地域全体に対して私は愛情と敬意の気持ちを持つようになりました。

×

MOHAMMAD Rifqi Rizaldi(アジア太平洋学部3回生、インドネシア)さん

これまでに地震を経験した事がありましたか。
インドネシアで何度か小さな地震を経験した事がありました。

地震発生時の状態
地震があった夜、私はマンションの6階で寝ていました。緊急地震速報が鳴り私は起き上がりましたが、地震の揺れで色々な物が落下しパニックになりました。私はルームメイトと一緒に急いで非常階段まで行き、そこで同じマンションの友達も外に出てきている事に気づきました。その時私は寝間着しか着ておらず、メガネやサンダルさえも忘れていました。
それから直ぐ後、警告音が聞こえ近隣の住民が高台へ避難するのが見えたので、私達もそれに続き次の指示が出るのを待ちました。ルームメイトや近隣の友達と誰かはぐれた人がいないか、お互いに確認しあいながら家から一番近くの避難所へ避難し、両親に無事である事を連絡しました。
本当に恐ろしい経験で、将来子供が出来たらこの経験を伝えるでしょう。

あなたのコミュニティや大使館から何か支援を受けましたか。もし受けた場合、どのようなものでしたか。
地震発生の数時間後、インドネシア大使館と日本にあるインドネシア学生連盟からメールを受け取りました。そのメールには彼らが別府の状況を確認する間、むやみに動き回ったり、パニックにならない様にと書いていました。また、多くの先輩が心配し、何か出来る事が無いかと連絡をくれました。

私は余震が起こる事をを考慮し、4日間避難所で過ごしました。本震から数日後には、インドネシア大使館から食糧や水、薬などの物資も届いたので、それを分け合い私達は緊急事態に備えてしばらく避難所で過ごしました。また、インドネシア教育大使が別府に赴き、精神面でのサポートや、正確な情報などを教えてくれました。

この震災についてどの様に感じ、また何を学びましたか。
このような大きな地震を経験したことは、今思い出しても恐ろしく感じます。しかし同時に、日本では地震などの自然災害時に、どの様に行動すべきかなど対処方法が準備されていることを知り、安心しました。この経験から、どんな状況へ対しても備える事が大切だと感じ、また不運な出来事を通じ、人と人とのつながりは、国籍やどのコミュニティーに属していても強くなるのだと感じました。

×

FERNANDO Thiththalapitige Sherveen Randima Anton(国際経営学部2回生、スリランカ)さん

地震発生時の状態
緊急地震速報が鳴った時、私は既にベッドで寝ていました。起き上がろうとした時、建物や窓が強く揺れだし、物も落ちてきました。5秒ほどの揺れだったようですが、もっと長く30分ほど揺れたように感じました。

あなたのコミュニティや大使館から何か支援を受けましたか。もし受けた場合、どのようなものでしたか。
スリランカ大使館と日本スリランカビジネス協議会(SLBC)は直ぐに私達がいつも通りの生活が送れるように、食料やタオルや石鹸などの物資を送ってくれました。私達は彼らの迅速な対応にとても感謝しています。

この震災についてどの様に感じ、また何を学びましたか。
私達の生活は通常に戻り、私は他のスリランカ人学生と一緒に熊本の被災者を訪ね、私達が大使館やビジネス協議会の方から頂いた食料を分け合いました。地震を振り返ってみて、私は母なる自然の力に私達人間の力は及はず、私達の生活は当然のように与えられたものではないことに気づきました。

×

VEERABURINON Pannavat(アジア太平洋学部4回生, タイ)さん

これまでに地震を経験した事がありましたか。
何度か地震を経験しましたが、今回が今までで一番大きかったです。

地震発生時の状態
初めはとても怖く、またどうしてよいかわかりませんでした。このような地震は私の故郷では起こった事が無かったため、私は、恐らく友人も、初めて自分の家が必ずしも安全ではないと感じたのではないでしょうか。私は別府の避難所へ避難しましたが、そこには沢山の人々が心配そうで、沈んだ顔をしているのを見て、ますます落ち込んでしまいました。しかし、その後福岡の避難所に移りボランティアセンターで熊本の被災者支援の手伝いを始めてからは、気持ちが楽になり、手助けが出来ることを嬉しく思いました。

あなたのコミュニティや大使館から何か支援を受けましたか。もし受けた場合、どのようなものでしたか。
はい、これは忘れられない経験となりました。私は同じタイ人の友達と一緒に、タイ大使館と福岡と東京のタイ学生連盟と協力し、タイ人学生やその他の学生が福岡へ避難するためのバスを手配しました。また、私達は大使館と、学生連盟が用意した避難所に避難する事が出来ました。

この震災についてどの様に感じ、また何を学びましたか。
私は、怖いのは地震ではなく、それを考える事が怖いのだと気づきました。元通りになるまでに時間が掛かるかもしれませんが、人生は続きます。明るい面を上げれば、もう2度と同じ経験をしたくはありませんが、ほとんどのタイ人が経験したことのない様な貴重な経験をしました。また、私達は災害の中行動を起こし、他の人々に助けられるだけでは無く、人々が安心する手助けが出来た事をとても嬉しく思います。

×

今回APUで学ぶ99人の交換留学生も地震を経験しました。彼らは地震当時、大半がAPハウス4(旧大分国際交流会館)で過ごしており、今回3人の交換留学生に地震の体験について聞きました。

BRAIDOTTI Estelle Marie Madeleine (非正規生、フランス)さんは、友人達と夜ご飯を食べていた際に地震に遭い、その場に居た日本人の携帯から、一斉に緊急地震速報が鳴り響いたそうです。彼女は驚きましたが、APハウス4に居る日本人があまり慌てていなかったので、彼女自身もそれほどまでに怖いとは感じなかったそうです。しかしながら、2度目の地震の際は、揺れが大きく天井が揺れていたため怖いと感じたと言います。BRAIDOTTIさんは震源の情報を調べました。彼女はフェイスブックの“Everything in Beppu”が非常に役立ったと語ります。多くの留学生がラウンジなどに集まり一人にならないようにしていましたが、深夜2-3時にハウスオフィスから避難所へ行くように指示を受け避難しました。

SERROUKH Jamal Din (非正規生、イギリス)さんは、地震が起きた時は部屋に居ました。2度目の地震は長く強かったため怖いと感じたそうです。彼は即座に机の下に隠れたため無事でしたが、本棚の本は全て落ちました。揺れが収まった後、APハウス4にいる友人同士で無事を確認し合い、ラウンジに集まりました。

EGBERT Benjamen Ronald (非正規生、アメリカ)さんは避難所で怒っている人や寝れずにストレスを感じる人などを見たと言います。一方で彼は、他の留学生と共に避難してきたこともあり不安は和らいだそうです。彼らは一晩避難所に滞在し、翌朝APハウス4へ帰宅しました。

地震を体験して BRAIDOTTIさんは今回の地震から、地震が起きた際にはまず頭を守るなど、どのような行動をすべきなのかを学んだと語ります。地震が起きた時は怖いと感じましたが、今回の地震を経験しても、日本については怖いと感じないと言います。 SERROUKHさんは今セメスター終了後イギリスの大学へ戻り、大学を終えた後、日本に戻る計画も立てています。

私は彼ら全員が、別府・日本での生活を楽しんでくれることを願っています。

×

#九州が大好き: 羽尾 崇 (アジア太平洋学部4回生、日本)

熊本と大分で起こった震災の後、APU生のFacebookやInstagramなどのソーシャルメディア上に、九州旅行のアマチュア写真と思い出話が、「#九州が大好き」というハッシュタグと共に溢れ出しました。これは今回私達がインタビューをした、1人のAPU生によって始められたものでした。

このプロジェクトについて詳しく教えて下さい。
このアイディアはすごくシンプルです。私は「#九州が大好き」というハッシュタグをつけた写真や思い出話を通して、九州の良い所を広めたいと思いました。また、それは特に海外からの観光客などに九州を旅行地としてアピールする事が出来るのではないかと考えました。インターネットを通じて発信される情報は可能性が広がり、予期せぬ結果を生むと思っています。そしてまた私は、皆にただの受信者でいるのではなく、発信者になって欲しいと思いました。

あなたがこのプロジェクトを始めたきっかけは何ですか。
私は、この震災が物理的なダメージや、人々にトラウマを残しただけではなく、九州地方の観光にも影響している事に気づきました。観光学を専攻する学生であり、また小さな観光関連のビジネスをしている者として、私はソーシャルメディアなど多くの人が使うものを通して、この状況を回復させる呼びかけをしたいと思いました。
たとえ通常通りの状態に戻ったとしても、私は九州を世界に広める為にこの活動を続けたいと思います。また、期間は限られていますが、私が所属している別府のNGO団体「別府プロジェクト」でも、同じようなコンセプトで「#We Love Beppu」という活動をしています。私は、災害後、発展までとはいかなくとも、この小さな1歩が九州の観光を復興させる手助けになればと思います。

×

「KOKOKARA」代表:今井紫園さん(アジア太平洋学部3回生、日本)

東日本大震災をテーマに防災の大切さを伝える学生団体「KOKOKARA」は、今回の熊本地震においても、フェイスブック上で迅速な情報提供をしたり、被災した人々へ直接支援するために熊本での支援活動を行いました。4月21、22日に支援物資と募金を呼びかけ、23日にはKOKOKARAのメンバー2人を含めた計5人で熊本へ行き、熊本市立東部中、益城町立広安小、益城中央小の避難所に支援物資を届けました。

益城中央小では1人で避難してきたおばあさん3人が毛布1枚で生活している様子を目の当たりにし、今後もお風呂に入れずこの生活臭の中で過ごしていくことに居ても立っても居られなくなったそうです。今井さんは現地へ行き、「道路が渋滞するからボランティアは必要ない」「物資が足りていない」などのメディアが伝える情報が全てではないと感じたと言います。また今回の訪問中に、子供の学校が休みのため子供の世話をしなければならず、家の片づけが出来ないという現地の声を聞き、APU生で子供を預かる新たなボランティアを提案したいと語ります。

「一か月は安心しないでほしい、いつでも逃げることが出来る準備を」―東日本大震災から活動を続けるKOKOKARAは、今回の地震を受けて東北で被災された方からアドバイスを頂いたそうです。最後に、土地ごとに復興のスピードや形は異なるものの、復興への情熱を冷まさず長期的な支援をしていきたいと語ります。

×

別府モスクが行う支援活動

4月16日に熊本県と大分県で起こった地震の後、九州セントラル・マスジド「別府モスク」は、支援活動としてお弁当を準備し、別府市にある各避難所に配りしました。KHAN Muhammad T. 国際経営学部教授が中心となったこの活動は、モスクが宗教的な活動だけではなく、同時にコミュニティー・センターとしての役割も果たしていることを示しています。地震発生当日から2日間、モスクの近くにある境川小学校、石垣小学校、中部中学校の避難所3箇所でお弁当を配りました。(この活動は最終的に17日間続きました。)

KHAN教授は「この活動は、イスラム教徒を迎え入れた別府市民へのお返しであり、またイスラム教を知ってもらうことにも繋がるのではないか」と言い、モスクで作られたお弁当は宗教を越えて、イスラム教徒以外の別府市民にも配られました。地震の影響でAPUが1週間休講になったため、APUの各国からの学生達も調理を手伝いました。

この活動は、避難所で生活する避難者から感謝の言葉を頂いただけではなく、新聞やテレビなどのマスコミにも注目されました。別府市はひどく目立った損傷はありませんでしたが、お年寄りなど数十人の別府市民がなお避難所で過ごしています。(5月2日現在)

×

「おかえりなさい」を企画した職員たち

この「おかえりなさい」は3人のスチューデントオフィスの職員が率先し行いました。地震後も休まず働いていた職員たちは、学生の安否情報を集めるなかで、九州から避難した学生、日本国外まで避難した学生、別府に残って避難所で過ごした学生もいたことを知りました。生まれて初めて大きな地震体験した学生を励ます為、再登校日には何か特別なことが出来ないかと、スチューデントオフィスの友常さんが同僚の杉本さんと梅村さんに活動のアイデアを伝えたことからこの活動は始まりました。

実際にこの活動の実行を決断したのは、再登校日の前日で、特にミーティングなどもせず、他オフィスの職員に計画を伝え、協力者を募りました。梅村さんは、急に活動が決まったことで、本当に他の教職員が参加してくれるかと心配しましたが、学長など役員を含め多くの人がこのアイデアに共感し協力してくれた為、「おかえりなさい」活動は大成功となりました。再登校日当日は、まだいくつか小さな余震があった為、学生がどう思うか少し不安で緊張しましたが、「おかえりなさい」を言ったときの学生の笑顔を見て、とても嬉しく思ったと語りました。

APU生へのメッセージ
友常さんより
「前回別府で大きな地震があったのは数百年前だったと聞いています。今回この数百年に一回しかない経験をAPUみんなで乗り越えられたことはとても貴重だと思います。もし、この先困難があったとしても、APUとAPUの学生なら乗り越えられると信じています。」

杉本さんより
「学生がバスから降りて授業に行く姿を見て、「みんなが帰ってきてくれて良かった」と思いながら声かけをしました。日本では、家に帰ったときに「ただいまー」「おかえりー」と言います。これからもAPUが学生の皆さんにとっての“帰る場所”と思ってもらえると嬉しいです。」

梅村さんより
「今後、もし今回の様な事があったとしても、学生同士で助け合ってほしいし、学生と職員、学生と教員、教員と職員、とみんなが協力し合って、笑顔で過ごせたらいいなと思います。」