学長ノート

じゅうもんじばる という始原

2014/04/10

今村 正治 元副学長

あなたが座っている教室の椅子は、あなたが座る以前に座っていた学生がいて、さらにその前座っていた学生がいて、そのまた前の、またまた前の・・・・・。あなたが住んでいるAPハウスの部屋にも、あなたが住む以前に住んでいた学生がいて、さらにその前にも・・・・・とさかのぼっていくと、先輩たちの歴史を受け継いできたことがなんとなくわかりますね。そしてもっとさかのぼると、APUがつくられる前の風景にまで行ってしまいます。(別に行かなくてもいいんだけど、いかないと今日のとこは話が進まないので行ってしまいます。)

始原、なんでも始まりがある。APUの始原、そう、十文字原高原です。この高原と人とのかかわりはどこまでさかのぼれるかというと、1万数千年前の縄文時代後期までなんです。APUを造る前に別府市教育委員会が十文字原を調査していて、キャンパスからは縄文時代後期の土器と14世紀中世・室町時代の土器が見つかっています。でも数が少ないので、人が居住していたとはいえないそうです。ということは、なんとAPUの学生が十文字原に初めて住んだ人間だ!

では、昔の人は十文字原で何をしていたのか?祭祀(さいし)です。神様や祖先を信仰するお祭りです。そのために使った土器だから少ないのです。APUのバス停から向かい側の原っぱを見ると、大きな岩があります。近くまで行ってみると大きな岩の周りに小さな岩がストーンサークル状に配置されています。実は大きな岩は御神体でその周辺で祭祀が行われていたようなのです。この岩の遺跡は14世紀のものですが、キャンパス建設にともなって今のミレニアムホールの前あたりから移設したのです。 縄文時代から中世、そして近代にいたるまで、約一万年という気が遠くなるような時間、人々は別府湾を一望する風の草原に、神が宿っていると信じて、祈りを捧げていたことになります。

祈るとは願いを叶えたいという行動ですよね。そうすると、十文字原から天空のキャンパスAPUが受け継いだものは、どんな願いだろう。今日も風が強く吹いている。1万年前とおんなじ風だろうね。



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